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真田十勇士〜戦国時代にかけて真田幸村に仕えたとされる、10人の家臣〜 | ||||
立川文庫以来、基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小介(穴山小助)、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっているが、作品によって差異が見られる。 概要原型は、江戸時代中期の小説『真田三代記』に見られるが、「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは、大正時代に刊行された立川文庫である。以後の「ヒーローとしてのイメージ」は、立川文庫という創作物によって定着した。 十勇士の成立「ヒーローとしての真田幸村」の登場は、寛文12年(1672年)に書かれた軍記物『難波戦記』である。元禄期には小説『真田三代記』が成立し、真田昌幸・幸村・大助の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーが人気を博した。この『真田三代記』において猿飛佐助と望月六郎をのぞく8人の原型が登場し(筧十蔵、霧隠才蔵の元になったと思われる筧十兵衛、霧隠鹿右衛門が記載されている)、「真田もの」の講談の流行によって、真田主従は民衆のヒーローとなった。明治後期の講談は神田伯龍『難波戦記』(1899年)などの口演速記本が書き残されている。講談師たちは『真田三代記』にはない忍術つかいの「猿飛佐助」[1]を生み出し、「霧隠才蔵」ら真田家の英雄豪傑の物語を膨らませていった。1911年に大阪で発刊された立川文庫は、講談師玉田玉秀斎らが中心となって講談を読み物として再編集したもので、その後の大衆文学に大きな影響を与えた。この立川文庫において、『知謀 真田幸村』(第5編)に続き、 1.『真田三勇士忍術名人猿飛佐助』(第40編、1914年) 2.『真田三勇士由利鎌之助』 3.『真田三勇士忍術名人霧隠才蔵』(第55編) を「真田三勇士」とする三部作が創られた。次いで『真田家豪傑三好清海入道』など、真田家の豪傑の逸話をあつめた作品が刊行され、のちに『真田十勇士』が刊行された。立川文庫は人気作品となり、新しいメディアである映画でも忍術使い猿飛佐助を中心とする作品群が作られた[2]。今日の真田十勇士という枠組みは、ここに起源を持っている。 真田三代記海野六郎、根津甚八、望月六郎の名は、真田氏の同族である滋野三家(海野氏、禰津氏、望月氏)に由来しており、『真田三代記』には、海野六郎、根津甚八の名が記載されている。 十勇士一覧猿飛佐助猿飛 佐助(さるとび さすけ)は、真田十勇士でも屈指の実力と人気を持つ。架空の忍者といわれているが、モデルになった人物には、上月佐助、三雲佐助賢春の名が上がっている。信濃の鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士の息子。戸隠の山の中で猿と遊んでいるところ、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となる。甲賀流の忍者だが、甲賀の里で修行した経験がない。 真田幸村に仕え、真田十勇士の1人として知られる。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルでもある。大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に薩摩に落ちのびたという。 霧隠才蔵霧隠 才蔵(きりがくれ さいぞう)は、「霧隠鹿右衛門を元にした架空の忍者」とされる。 伊賀忍者の頭領・百地三太夫の弟子とされている。立川文庫の55冊目に『真田三勇士忍術名人 霧隠才蔵』の巻があり、その中でキャラクターが構成されたと考えられている。真田十勇士では猿飛佐助に次いで人気があり、主役を務めることもある。 三好清海入道・三好伊三入道三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう)、三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)。この兄弟は、『真田三代記』では出羽国亀田の領主出身、立川文庫では三好氏出身の破戒僧と設定されている。 三好清海入道のモデルは、大坂の陣において豊臣方で討死した三好政康(入道名・清海)と考えられている。政康の弟の三好政勝(法名・為三)が伊三入道のモデルとされるが、史実の政勝は徳川方について大坂の陣に出陣した。いずれも80代という高齢での出陣であった。 なお、信繁の側室・隆清院が豊臣秀次の娘であり、三好吉房の孫にあたることから、隆清院も清海のモデルであるという説もある。 穴山小介(穴山小助)穴山 小介(あなやま こすけ)、もしくは穴山 小助。『真田三代記』によれば、「武田旧臣の穴山信君(武田氏の家臣)の縁戚」と言われる。十勇士の穴山小介は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。 史実の穴山小介については、以下の通り。
由利鎌之助由利 鎌之助(ゆり かまのすけ)。『真田三代記』にも、由利鎌之助の名で登場する。講談本の立川文庫には、『真田三勇士 由利鎌之助』の巻がある。十勇士の由利鎌之助は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。鎖鎌の名手。 史実の由利鎌之助については、以下の通り。
筧十蔵筧 十蔵(かけい じゅうぞう)。『真田三代記』では筧十兵衛の名前で登場する。火縄銃の名手。十勇士の筧十蔵のモデルは、筧十兵衛、又は筧金六郎、あるいはその息子と言われる。また、「創作された架空の人物」という説もある。 史実の筧十蔵については、以下の通り。
海野六郎海野 六郎(うんの ろくろう)。『真田三代記』には、海野六郎兵衛利一として登場する。十勇士の海野六郎のモデルとしては、他に海野小平太の名も上がっている。 史実の海野六郎については、以下の通り。
根津甚八根津 甚八(ねづ じんぱち)。モデルについては、禰津小六、浅井井頼などがある。 史実の根津甚八については、以下の通り。
望月六郎望月 六郎(もちづき ろくろう)。爆弾製造に長けていた。『真田三代記』では、望月卯左衛門幸忠として登場する。モデルは望月宇右衛門、望月甚左衛門、望月卯兵衛、望月卯左衛門幸忠など、諸説あり。 史実の望月六郎については、以下の通り。
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