戦国最強は誰だ!?徹底検証!   
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鈴木孫一 〜雑賀衆の有力者の一人。雑賀孫一という名でも知られる〜

 

鈴木 孫一(すずき まごいち、天文3年(1534年)? - 天正17年(1589年)5月2日?)は、雑賀衆の有力者の一人。雑賀孫一という名でも知られ、また孫市とする史料もある。

経歴

石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。

正体について不明な部分も多く、鈴木重意(佐大夫)を指すとする説や、重意の息子、鈴木重兼(平井孫一という別名あり)や鈴木重秀、鈴木重朝(関ヶ原の合戦・水戸藩への仕官などの経歴はこの人物と重なる)を指すとする説などがある。しかし、「孫一」が活躍した年月に開きがあり、鈴木氏の当主は代々「孫一」を名乗っていたという資料もあることから、複数の人間の伝記が混在した可能性が高い。

また、鈴木氏の定紋が「ヤタガラス」であるため、孫一は自身の火縄銃にヤタガラスと命名している

和歌山県和歌山市平井の蓮乗寺内に孫一の墓と伝わるものがあり、法名は「釋法誓」(墓碑には「天正17年(1589年)5月2日」とある)。三重県熊野市には孫一終焉の地として供養塔がある。こちらの法名は「釋広徳」。

 
 
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